前半の終わりが何かしらの中途半端感を残したまま終わって、それが舐めた富士登山を立案した遠縁になったかも知れない。反省を込めて今回は真面目に行脚しようとの思惑。道中での酒ビールは無し。日本武尊とか雄略天皇とか、古市古墳群は事跡が多くある人の陵墓が多い。
第24代:仁賢天皇
墓山古墳をパスして住宅地の向うの池の側に仁賢天皇陵はある。堀なのか灌漑用ため池なのか若しくは陵墓の堀は元々灌漑用であったのか。この辺り勝手に想像をふくらかしてダラダラ畑を超え超え歩くと辿り着く。夏とも思えるような日差しも影の具合で11月というのはバレるけど、寒くもなくとても気持ちのいい出出し。
定番の「魚鳥等を取らぬこと」とか。どこの陵墓も綺麗に整備され清掃もキチンとされている、台風の痕跡がない。どれ位の頻度優先順位でメンテナンスされているのだろうか。
濁った池で魚釣りとか、誰の土地か判らんけど勝手に植えてある畑とか、中途半端な町の緩い感じが心地よい。この辺まではグダグダ言いながら元気に歩く
第14代:仲哀天皇
神に逆らって憤死した哀しき天皇、筑紫で亡くなった人の陵墓が何故ここなのか。
応神天皇の親ではあるが
古事記ではたいした事跡もない天皇の陵墓が何故こんなに立派なのか。それに比べて后のオキナガタラシヒメノミコトの事跡(事績が本当だろうけど)が多すぎる事の意味を想像するだけで色んな物語を作ることが出来る。
町中を行くとこういうのがチラチラ出てくる。看板立てて何かしらのアピール、今迄聞いたことは無い神社なので、歩いているからこその出会い。
スサノオの命とか応神天皇とかを祀っている。
藤井寺の地名の元、元は人の名でこういう字だった。クズイじゃないのかという声もあり
葛井寺はなかなか立派なお寺です
藤井寺駅前商店街
結構さみしい事になっている
これも知らん
此方が元祖、日本最古と言われても反応のしようがない
胡瓜紋というらしい
ここの角を曲がって津堂城山古墳へ
津堂城山古墳で昼食
見かけた赤い実、類としては、ナナカマド(七竈)に近く正しくはピラカンサといい外来の植物。別名、トキワサンザシ(常盤山櫨子)とかタチバナモドキ(橘擬)とか言うらしい。ここは小山と神社と公園があるだけ、古墳の痕跡は周囲の堀らしき窪みとかかも。女子が柿の木に上って実を採っていた、おそらく外国人
古市古墳群の中で来なければならなかった所、古事記ではあれだけ事跡の多い人がコレかと疑問は残る。拝所はあるのでまだいいかも。
雄略天皇の陵墓
民家の脇を通って拝所
かなり侵食されているという感じ
堀はあるのだけど、円墳と方墳が真ん中で侵食され別の古墳みたいになっている。併せてもそんなに大きくないのに、えらい扱われよう。本当にここが倭の五王武の眠る場所か、疑わしい
ダラダラ歩き、
仲姫命陵古墳のほとりで野点
11月だというのに蚊が多い
こんな感じで今回から歩き酒は無しとなる
夕方が迫ってきている刻限
応神天皇妃、仲姫命陵拝所
何故にこの様な立派なものが姫の陵墓なのか、規模は天皇級、立派過ぎる
「竹木等を切らぬこと」
切る奴が居るのか・・
鍋塚古墳の上、同行者はこれだけ歩いても(20Km位)まだまだ元気、
向こうの方は昨年登った金剛山だと思う
過去に上った山、二上山と葛城山と金剛山。感慨深いものがあります。左端の山と山の間が竹ノ内街道少しだけ奈良側が見える。
こうやって見ると大和と難波は山で分断されてなく、大和政権の陵墓がここら辺に漫勉なくあるというのが感じとしてわかる。此処に来なければわからないかも。
あの辺をずっと歩いて来たかと思うと感慨深いものがある
あまり有名でない允恭天皇陵墓、規模は大きいものの拝所は見当たらない。住宅に侵食され放題といったところ
第19代:允恭天皇
こんな判り難いこの奥に拝所があるのかも。それらしいものは見当たらないけど
鍋塚古墳、誰の墳墓か判らん
生駒山系の尻尾、向う側に少し奈良側が、見える、この辺は奈良がすぐそこにある。さすが近つ飛鳥
朝の珈琲店で作戦会議(という名目の近況報告)、一応今回は広い範囲で訪れれなかった御陵をめぐるという決議、事跡の多い雄略天皇陵は外せないでしょうと出立。巡り巡って春と同じ蕎麦屋で食事会、夜も同じ珈琲店で反省会。
此の辺りの行動は春と全く同じ(同じ店)
2018/11/3 朝のうち曇っていて心配した空模様、歩き出す頃はピーカン天気。
日頃の行いが良いとこういう事になる、11月3日は晴れの特異日だそうな

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